イチモンの手記 【愛着障害を持つ妻との幸せ】

愛着障害を抱えるお母さん、お父さん。そんなパートナーを持つ全ての方に自信や活力を見出せる元気を分け与えたいと思ってます。

イチモンとは誰なのか。

はじめまして。イチモンの手記へようこそ。

 

今回は私の馴れ初めについて記していこうと思います。

 

〜出会い〜

私と妻は同じ職場でした。

私が一目惚れして猛アプローチ。そして無事交際。

 

〜交際そして婚姻〜

交際当時から子供欲しいね〜とか何人がいいね〜とか将来を見据えていた私達。

交際1ヶ月ほどで半同棲生活をしていたのでそこらのカップルよりも距離を詰めるのが早かったのもあるかもしれない。当時18歳。

付き合って半年程で妻が妊娠。 

幸せいっぱいで入籍!産まれてくる子供に胸躍らせながら2人で幸せムード全開でお産を迎える...。

 

〜出産、愛着障害発覚、全てが狂う〜

桜が満開な春の暖かいお昼ごろ、息子が爆誕しました。

あまり泣かず心配だったが私の顔を見ると泣き出したのを鮮明に覚えている。

1ヶ月程は私の実家で慣れない育児に夫婦2人で四苦八苦した。

そして実家を出ていつもの生活に息子を加えて全く別世界にいるような生活が始まりました。

そんなこんなで3ヶ月程が経ったある日、仕事から帰った私に妻が一言。

「息子があまりにも泣き止まないから叩いてしまった。」

言葉が出なかった。慣れないながらも嬉しそうに幸せそうに息子と接していた妻が叩いたという事実を受け入れたくなかった。悪い冗談だと思った。しかし、泣き出した妻を見てそんな幻想は砕け散った。

1週間後、2人でカウンセリングを受けた。正式な診断ではなかったがカウンセラーに言われた。

「成育環境から愛着障害であると言えます。」

聞き慣れないワード、でも障害とついてる不安。

私は必死に調べた。本、ネット、心療内科の先生にも問い合わせた。

調べ尽くした結果、妻が育児するのは絶望的だと知った。伝えたくなかった。二人で望んで愛し合って産まれてきた子供を死ぬ思いで産んだ妻が育てられない?そんなわけないと。そんなのあまりにも酷だと。夜中1人で人生で1番泣いた夜だった。

私は仕事を辞めた。育児休暇のない会社だったからだ。自分の過去をも恨んだ。適当に生きていなければちゃんとした会社に勤めていたのに。お金の心配なく一緒に育てられるのに。

だが息子は待ってくれない。悩んでる間にもどんどん成長していく。目には見えないが確実に。

1人泣いた夜から数日、通帳を見ると1年くらいなら2人の貯金で何とかなりそうだった。そして妻に愛着障害について全てを話した。

酷く泣いた。別人に思えた。私が不幸にしてしまったと錯覚して胃が痛んだ。

そして夜中の授乳以外は2人で抱き合い朝を迎えた。言葉は交わさず。

その朝から私は家事も育児もフルスロットルで励んだ。徐々に始まっていた夜泣きにも翻弄されていた妻は死んだように眠っていた。

昭和の風景で見るようなおんぶして家事をするお母さんの図をそのままやっていたのは今となってはいい思い出です。

そしてそれからはお互いに支え合って数ヶ月は何事もなく経過した。とても平和で穏やかだった。

狂った歯車が修正されはじめているのを感じて生後半年を迎える。     つづく

 

 

愛着障害を抱えるお母さん、お父さん、そしてそんなパートナーを持つ全ての方に、愛着障害があっても幸せは手に入る。子供と向き合うことも出来るんだと発信していけたらなと思います。

これからもよろしくお願いします。

 

イチモン